記 [残す。]
私は、退職して、現在無職の身です。
私はこの4月に新卒で入社して、はやくも6月いっぱいで退社しました。
理由はいろいろあったのですが、
やはり自分が甘いっていうのは自覚してますし、逃げていることも認めました。
しかし、辞めてまでやりたいことがある、と気づけたのも事実でした。
いまは、そのやりたいことをするための、納得のいく環境探しをしているところです。
次で失敗したくない、という思いが少なからずあることから、慎重 になってるともいえます。
私が辞めた事で、
親が周囲にさまざまなことを言われているという事実にとても悔しさがこみ上げています。
それは、ずっと私が職に つくまでいわれ続けてしまうのだろうかとも思えるので、
余計に焦りのようなものもあります。
周囲からの評価を少なからずよくいただいてきました。
それがゆえ、「自分のありかた」というものが、「周囲が求めるあるべき像」にすりかわって
いつの間にか、その姿でしか生きられなくなってる自分に気づいていました。
そこからでした。
自分に疑問を持ち始め、息苦しくなったのは。
今回職を失ったことも、やはりそこに原因があったようです。
きっと、どこかの誰かには、すごく痛い評価をくだされてるのだろうと想います。
しかし、私はそれよりも、
自分というものを押し殺してまで我慢してまで、
周囲の顔色をうかがってまで身体を痛めてまでする仕事に 、
自分の向上を見出せないように感じました。
すごくナマイキですが…
自分のために生きないと。
私は退社を決意することで、当たり前でありますが、そう痛感できました。
誰のためでもない、自分のために自分の意志で生きないと。
一度きりの人生を後悔したくない。
なんとなく…で、すぎてく時間ほど、寂しいものはないから。
無職ということへの不安はとても大きかったです。
もちろん、その真っ只中にいる今も、次へのステップへ薦めるのか、正直怖いです。
しかし、私は多くの友人や知人に支えられ、
少しずつではありますが、自分の選択した道を信じることができています。
「退社」
という決意を下す勇気を持てたこと。
それ自体が、自分にとってとても意味のある節目であると想っています。
何もわかってはいないであろう若者が、こんなにつらつらとごめんなさい。
これを読んで不快に想われた方も申し訳ありません。
しかし、大きな決断を下すまでの過程の辛さや苦しみ・迷いは
決して誰もわかりえないものなのです。
本人にしか測れないものだと、私は想うからです。
だから、私は「自分」に大きな決断を下している方々を、応援 したいです。
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